『3年の皆守甲太郎君、3年の皆守甲太郎君。至急寮長室へおいで下さい・・・繰り返します・・・』 ピンポンパンポンポン♪と放課後の天香学園男子寮内に、呼び出しの放送が鳴り響いた。 「・・・・・・・・はぁ?」 唐突に自分の名前を大々的に呼ばれて、それまでやっていた動作を止め、放送が聞こえてきた廊下のほうを見た。 「寮長室・・・・?」 目線を自分が今まで丹念に混ぜていたカレー鍋に移して、考える。 このカレーはなかなかの出来映えだ。 煮込みも納得出来るほどにはなっているが、もう暫く向き合って煮込んで居たいと思う。その時間が何よりも大事だ。それを中断してまで行くべきか・・・? 火を弱め、数歩下がり給湯室のテーブルに凭れ掛かる。 アロマをゆったりとした動作でつけて、そこでようやく思い出した。 (・・・寮長は・・・確か生徒会役員・・・とすると、神鳳だったか・・?) 何の用なんだか・・・。大々的に放送での呼び出しは初めてだ。 (《生徒会》がらみのことならば、必ずメールで呼び出されるはずだしな・・) 《転校生》の監視報告は定期的に行っているが、それに関係するのならばメールで呼び出されるようになっている。 それにまだ日が暮れたばかりの時間帯で、《転校生》も勿論部屋に帰ってきている。外へ出ていない限り放送を聞いていただろう・・。《生徒会》と自分とを結びつけるような接点を、神鳳が見せるとは思えない。 (つまり、《生徒会》がらみではないということ・・・か?) 「面倒くさいな・・・」 アロマを深く吸い、苛立つ気分を宥めてる。 どうするか、聞こえなかった振りを決め込むか・・・と決断しかけた時、近づいてくる足音に気がつき見ると、 「皆守」 給湯室の入り口からひょいと顔を出したのは、件の《転校生》・・・緋勇龍麻だった。 「何だ」 「やっほー!」 用があるのかと視線をやると、緋勇は嬉しそうに片手を上げて挨拶をしてきた。相変わらず無駄に元気というか、うるさい奴だ。 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。俺は忙しいんだ、向こうに行っててくれないか」 「うぉッ!冷たッ!冷たすぎる!皆守と俺の仲だろ〜なぁなぁ〜なぁ〜ッ」 「・・・・・・・・・・」 「おーいッ!無視するなよなー心の友よ!」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・うざい・・」 「あっ、酷ッ!うざいって酷いッ!俺の少年の心・・・具体的に言うと永遠の18歳の心は今ので傷ついた・・」 緋勇は泣くような真似をしながら柱に抱きついて頬擦りをした。 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・気色悪い」 思ったことがつい正直に口に出てしまい、まずかったかと緋勇を見ると、にまにまとにやけたままこちらを見ている目と視線がぶつかった。 「・・・・なんだよ・・」 「いやぁ〜別にー?」 (・・・・イライラする・・・ッ!) なんだこいつは、妙にこっちを見る視線が生暖かい。 そう、言うなれば『判ってるって〜』そんな類の視線。 睨みつけると、緋勇の笑みはますます深まった。 「気色悪い眼で俺を見るなッ!用がないならさっさと出ていけ。邪魔だ」 「あぁ、何てつれないんでしょ・・そんなところが若さだねぇ・・・うんうん」 「・・・・・・・・・・・・」 (なんでこんなに話が通じないんだ、こいつは・・・) 思えば最初からまったく話が合わなかった。 初対面の時は、ラベンダーの匂いが臭いと言って鼻を摘み、カレーよりはラーメンだと熱く語り、正体がばれても飄々としていた。 (・・・その上、こいつはいつも俺を年下のような扱いをしやがる・・・・) 自分はまるで年上だとでも言うかのように、皆から1歩離れてまるで保護者のように見ていることが多い。それが癪に障って仕方ない。 (・・・お前に何がわかるって言うんだ・・) 「それよりさ、良い匂いがしてるんだけど・・・・ちょっとだけで良いからさ、くれ!」 「断固断る」 「えっ!なんでッ!」 「・・・・まだ煮込み足りてない、スパイスもいくつか足りてないからな」 (カレーが好きでもない奴に俺のカレーを分けてたまるか) どうせ味の違いすら判らないだろう、と皮肉を言おうと口を開いたとき、再び放送がスピーカーから流れてきた。 『3年の皆守君。至急寮長室へお出で下さい。・・・・ええっと・・・これも読むのか・・?』 放送を読み上げているのは、放送委員だ。誰かに何かを聞くような戸惑った声と、ザザザッと雑音が響いた。 「ん?また呼ばれてるな、皆守」 「・・・・・そうだな」 「行かなくて良いわけ?」 「・・・・・・・・・面倒くさい」 『え・・・・・3年の皆守君。至急寮長室へ行ってください。すぐに来なければ・・・の・・・呪いますよ・・・だそうですッ!』 ブツン!と乱暴に放送が切られた。 「呪うって・・・・変な脅迫の仕方だよなぁ」 唖然とした顔をして緋勇が言うが・・・。 「・・・・・・・・・・・・・」 「普通、来なければトイレ掃除を命じる!とか言うよな。寮長なんだし」 「・・・・あいつはやる・・」 あれは、単なる脅しではない。やるといえば、やる。 「へ?」 神鳳の『呪い』は尋常ではない。それこそ毎晩毎晩、枕元に何かが押し寄せてくるような呪いをかけないとも言えない。 (冗談じゃない。俺の安息の時間を邪魔されてたまるかッ・・・) 「・・・・・・・じゃあな、緋勇」 「え、あぁ・・うん。いってらっさいー」 「言っておくが、カレーには手をつけるなよ」 「はいはい」 苦笑しながら頷く緋勇は片手に袋を持っていたことに今気がついた。 「・・・夜飯はカップ麺か?」 「え、あぁうん、そうなんだ。なんか所持金が急にごっそり減っちゃって」 「また何か買ったのか?」 「うーん・・別に何も買ってないんだけどな。銃はもう遊び倒したから良いかなと・・・今の武器で勝てるし、弾丸とか高いし」 「そうか・・」 「さすがは守銭奴亀って、ホントつくづく思うよ。少しは値引けっての!!」 「リサイクルに学校の備品を出してる奴が言う台詞じゃないな」 「いや〜、なんかどんどん協会にお金引かれて行ってるから、売らないと晩飯代もヤバイんだよな」 「いつもはそう見えないが、苦労してるんだな」 「え?はははッ!してるんだよ〜!高校の授業とかわけわかめだし!若い子とのジェネレーションギャップが埋まらないしッ!」 「若い子?」 「あっ!?え・・・っと、俺なんか身体は若いんだけど、心がおっちゃんなんだよ」 「まぁ、確かにそうだな」 「うぅ・・・・その一言がとても痛い・・・」 「ふん・・・」 胸を押さえてオーバーに悲しむ緋勇に背を向けて、片手を振った。 背後で立ち直ったらしい緋勇が「呪われるなよ〜う〜ふふ〜」と言った言葉がかすかに聞こえた。 「俺だ、入るぞ」 軽くノックをして、そう声をかけるとすぐに中から「入ってください」と声が聞こえた。 「一体、何の用・・・・・・誰だ、こいつ」 扉を開け中に入ろうとしたとたん目に入ったのは、椅子に座る神鳳の前にゴロリとうつ伏せに横になっている誰かの姿だった。 「扉、閉めてください」 「あ、あぁ・・」 言われた通りに扉を閉め、向き直る。 絨毯の上に横になっているのはどうやら男のようだった。見えている部分が土で汚れているので薄汚い印象を持った。 「・・・・・部外者、か?」 「さすが、察しが良いですね」 「・・・・・・墓に埋める手伝いはご免だぞ」 「違いますよ」 神鳳の即答を意外に思いつつ、横になっている男に近づいた。 「・・・・・起きてるのか・・?」 「最初から彼は寝ていませんよ。・・・葉佩君、起きなさい」 「う・・・・・うん・・・」 葉佩、と呼ばれた男・・・いや、起きあがった姿を見ると、顔つきは幼く体つきも細く頼りない。 「子供?・・・迷い込んだのか?」 「一応16歳だそうですよ」 「16?これでか?」 葉佩は左右にゆらゆらと揺れながらふらついている。顔色も悪く、眩暈でもしているのか目を開けるのも辛そうだ。 改めて見てみても、せいぜい、14、15くらいの年頃の子供にしか見えない 「・・・・それで、俺を呼んだ理由はなんだ?」 「あぁそうでした。貴方にお願いがあるのですよ、皆守君。彼を学園内で・・・・見つけ保護したのですが、話を聞くにも聞けない状態でして」 「・・・俺に尋問でもやれってことか?」 「いいえ、違います。話を聞けないのは、彼がここ数日何も食べてないらしく話す力さえないようなので・・・。確か貴方は今日、給湯室で作ってますよね・・?」 「・・・・カレーか・・・なんで知ってる?」 「これだけ良い匂いがしていて、判らない人は居ないと思うのですが」 「・・・・・・・それをこいつにやれと言うのか?」 「えぇ。この匂いのお陰で空腹に大ダメージになってしまったらしいので」 「・・・それならマミーズに連れていくとか、舞草辺りにでも出前を頼めば良いだろう?」 「この時間は生徒で混んでますし、出前を頼める余裕はないと思われます。・・・それに彼をあまり人目に晒したくないですから」 「・・・そうか・・用はそれだけなんだな?」 「いいえ、他にも・・・貴方には彼の世話を頼みたいのです」 その言葉に、眼をかすかに開いてこちらを見上げてきた葉佩と視線が合う。 「・・・・・・・ッ」 きらきらと何かを期待している眼に、思わず怯む。 何の裏もない、純粋な眼だった。隠そうともせずに、待っているその眼は、まるで好物を目の前にし、主人に『待て』とされている子犬のような感じだった。 「葉佩君、もう暫く待ってください。すぐにそこの彼が、おいしいカレーを持ってきてくれるはずなので」 神鳳の言葉に、ものすごく嬉しそうに頷いた葉佩の腹から騒音が聞こえてきた。 ぐーきゅるるるる〜ぐぉぎゅるる〜 騒音を押さえ込もうとしたのか慌てて腹を押さえた葉佩は、恥ずかしいのか顔を赤く染めた。 (神鳳の言う通りにするのは癪に障るが、仕方ねぇか・・・) さすがにここまで腹をすかせている子供を前に、カレーをやらないなどと言うほどケチではないつもりだ。 「・・・・・・ちッ」 踵を返しながら、舌打ちすると背後から「・・・・・あ・・」という小さな声が聞こえた。 振り向くと、怯えたような視線とぶつかる。 「・・・・・・・違う。・・・お前に言ったんじゃない」 「・・・・・・・」 本当に?とでも言うような視線を受けて、頷くと、ほっとしたような顔で葉佩は微かに笑った。 給湯室に戻ると、緋勇はすでに居なくなっていた。 「・・・・・・・・・使った器具は洗っとけよ・・・」 本人は洗ったつもりなのかもしれないが、あまりにも適当だ。泡はまだついているし、菜箸は無造作に置かれているだけだ。 顔をしかめながら、置いてあったカレー鍋の蓋を開いた。 「・・・・・・緋勇め・・・ッ」 明らかに減っている。ごまかせるとでも思ったのだろうが、丸わかりだ。 ムカつきながら、炊いていた炊飯器を開く。 やはり米も減っていた。 「〜〜〜ッ!覚えてろよッ!緋勇ッ」 部屋にカチャカチャと食事をする音が響く。 「すごい勢いですね」 「おい、ちゃんと噛んで食べろよ。丸呑みするな」 神鳳と皆守が見守る中、飢えたように猛烈な勢いで食べているのは葉佩だった。 どれだけ食べるかが判らなかったので、炊飯器と鍋を往復して運んできたのだが、どうやら正解だったようだ。 寮長室は他の部屋とは違い広い。個室のものよりは立派なキッチンがついている。 そこで鍋を暖めて、ついでに軽く味噌汁も作り出してみたのだが、葉佩はものも言わずに食べだした。 「・・・・いつから食べてなかったんだ?」 「・・・・・・・・ッ・・・ゴホゴホッ」 答えようとして喉に詰まったらしい葉佩の背中を撫でてやる。 「あー判った判った。食ってから言え。落ち着けよ」 「ご・・・・ごめ・・・」 「本当は水を飲むのは邪道なんだが・・・」 水を差し出すと葉佩は嬉しそうに笑って勢いよく飲み干した。 数分後、綺麗に食べ終えた皿を洗い終わってキッチンから出ると、神鳳はPCに向かいメールを打ち込んでいた。 葉佩を見れば、食事をした台の前に正座して座り、緑茶をおいしそうに飲んでいた。 「・・・・いつから食べてなかったんだ?」 「あ、カレーありがとう!すごく・・・・すッッごくッ!おいしかった!」 「・・・あ・・・あぁ・・・」 隣に座ったとたん、両手を取られてぶんぶんと上下に振りまわされながら握手され、満面の笑顔で礼を言われ、思わず仰け反る。 「俺さ、カレー大好きなんだ!今まで食べたカレーで一番、おいしかった!」 「そ・・・そうか・・」 「うん・・・うん・・・・」 「お、おい・・・?」 急に葉佩の眼が潤んだかと思ったら、泣き出されて驚く。 「あ・・・・んなに・・・暖かくて、おいしいカレー・・・食べれるなんて・・・ゆ、夢みたいで・・」 「お、おいッ!?」 「うー・・・うぅー・・・・」 ボロボロと大泣き仕出した相手にどうしたらいいかと視線を神鳳にやるが、神鳳はこちらを面白そうに見たまま動こうとする気配はない。 (ッ・・・こ、この野郎・・ッ!) 苛立つが、泣きじゃくる葉佩をどうにかするのが先だと、ぎこちなくその頭に手を伸ばす。 「・・・・・また食わせてやるから、泣くなよ」 「・・・・うッ・・・・ひっく・・・ち・・・違うッ・・・だ・・・」 「違う?」 「俺、もうおいしいカレーとか・・・・た・・食べれないって思って・・・たから・・・」 だから、すごく、嬉しかったんだと泣きながらも笑った。 「・・・バカだな」 「・・・?」 「今のカレーは、確かにそれなりの出来だったが・・・。あれはまだスパイスや材料が足りていない、そのうちあれよりもっと上手いのを食わせてやるさ・・・」 つい、口から滑った言葉に自分でも驚き、気付く。 (・・・・・こいつは、処罰されるかもしれない相手だ・・・) どんな理由があろうともこの学園の人間ではない葉佩が迷い込んだとしても、何らかの処置を施されるのは間違いない。 記憶を消されるだけならば良いが、最悪墓で眠ってもらうことになる。 (そんな相手に『約束』を取りつけてどうなる・・・。それにだ、誰かに何かをしてやると自分から言い出したのは・・・何時振りだ?) 自分の心の動きが、理解できなくて動揺する。 「ありがとう」 そんな自分の目の前で、葉佩は本当に心の底から嬉しそうに笑った。 「さて、時間も良いようですね」 その言葉に顔を上げると、神鳳がいつの間にかに近づいていた。 (相変わらず・・・油断ならない相手だな・・) 「葉佩君。君には色々と話して貰わねばなりません」 「・・・・はい・・」 しゅんとうな垂れて俯く姿を見ていたくなくて、立ちあがりアロマを取り出した。 「・・・・良いか?」 他人の部屋だったと気付き神鳳に一応聞くが、相手はこちらを一瞥し嫌そうに頷いてまた葉佩と向き合った。 「・・・生徒会室に来てもらわなければならないのですが・・・・、その前に・・・その身なりもどうにかせねばなりませんね」 (身なり?・・・そういえば、汚れてるな・・) 言われて改めて葉佩を見てみると、幾分血色がよくなった顔には泥が、着ているアディダスの紺色のジャージも、全身が泥で汚れていた。 「・・・・・ということで、皆守君」 「なんだよ」 「丁度今の時間なら比較的空いているでしょう。彼を入浴させて来て下さい」 「はぁ?・・・俺がか?」 「君もまだのはずですよね?ついでに、頼みましたよ」 「・・・・・・・・・ちッ!」 「私は先に生徒会室の方へ行ってます。必ず連れて来てください」 「・・・・・あぁ」 それじゃあ、と追い出されるように外に出され、深々と溜め息をついた。 (面倒くさい・・・・。何故俺なんだ。金魚の水替え程度の仕事しかしない補佐にでもやらせとけばいいだろうに・・・) 苛々としながらアロマをつけ、香りを吸う。 落ち着いた香りが鼻腔に優しく香る。ささくれ立った気分が少し落ち着くようだ。 「アロマがうまいぜ・・・」 「・・・?この匂い・・・何?」 葉佩がくんくんと匂いを嗅ぐような仕草をし、こちらをじっと見上げてきた。 「知らないのか?ラベンダーだ」 「あ!そうそう・・・ラベンダーだ・・。知ってる」 「ラベンダーは別名丘紫と言ってな・・・・まぁ説明は面倒なんで省くが、いい香りだろ?」 「うん。なんか懐かしい感じがする」 「懐かしい?」 「昔住んでた家の庭、いっぱい植物とかあって・・・、それでだと思う・・・」 何かを思い描くように遠い目をした葉佩の姿は、頼りない迷子の子供のようだと、ふと思った。 思えば最初見た印象も、迷い込んだ子供だったなと思い出す。 「・・・り・・・たいなぁ・・・」 「なんだって?」 咄嗟に聞き返すほど、小さくか細い声だった。 立ち止まってしまい俯いた葉佩に、もう一度尋ねようとして遠くから聞こえてきた騒がしい声に気がつく。 「ちッ・・・・人が増えてくる前にとっとと行くぞ」 (・・・・俺が話を聞いてどうなる・・) 判っていても、何故か気にかかってしまう。 先ほどのカレーの事といい、自分の気持ちの動きがいつもと違うことに戸惑う。 だが、それはきっと・・・。 (俺のカレーの味がわかる奴だから・・・だな・・) あれほど美味そうに食べた奴も、真正面から喜んだ奴も・・、初めてだったからだ。 (それだけだろ・・・きっとな・・) |