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みんなおなじ空の下
(前編)

いつもと同じ寮への帰り道。
いつもと同じはずなのに、どうしても感じてしまう距離感。拭えない違和感。
並んで一緒に歩いているはずなのに、どうして遠く感じるんだろう。

「もう日暮れか・・・、早くなったな」
「うん。・・・12月だしね」
「そうだな。もう、12月、なんだな・・」

噛み締めるみたいに呟いた甲太郎は、そのまま夕焼けに染まる太陽を眩しそうに眺めた。

夕焼けに染まる背中が滲んで見えて目を逸らしたくなる。
それだけなのにどうして、いつもと同じはずなのに、叫びたくなるんだろう。
どうしてこんなに胸が苦しんだろう。

ここにいるよ、隣にいるよ。

そんな言葉が胸の中に渦巻いて、苦しくなった。


【みんなおなじ空の下】


それはいつもと変わらない放課後の出来事だった。
授業が終わってすぐ、いつも通り校舎内の備品調達に励んで教室に戻って来た時だった。

本当に偶然、聞いてしまった。

「・・・ってますよね、皆守君」
「あぁ・・わかってるさ」
「期待してますよ・・様のためにも」
「うるさい奴だ。さっさと行け」
「ええ、そうします・・それでは」

その場に金縛りになったみたいに動けなくなる。
どくん、と心臓の音が耳障りに聞こえるくらい、周りの音が聞こえなくなった。
今の声が誰と誰かなんてよく分かってる。
(甲太郎と・・神鳳・・さん・・)
とても小さい声で話していたけれど、目が悪くなった代わりを補うように発達した耳には聞こえてきた。
すぐそこの曲がり角を曲れば3年の教室前の廊下・・たぶんそこに2人は居る。
(聞き違い・・じゃないんだろうな・・)
薄々気付いていた。
転校してからずっと傍に居てくれた存在が、自分と一緒に居たいからという事だけで傍にいてくれているわけじゃないことを。
「気のせい・・って思っていられれば、俺はそれで、良かった・・のに」
どうして今、聞いてしまったんだろう。
(あぁッ!もー・・聞きたくないんだから、聞こえなくてよかったのにッ!)
いつもは警戒してそれらしい素振りなんか見せないくせに、どうして今、それを突き付けるんだよ!?
思わず逆恨みのようにこんなところで立ち話をしていた二人へ恨み事を思い浮かべながら、頭を振って嫌な考えを追い払う。このまま突っ立っていたら下校の時間を過ぎてしまう。
(平気な顔、できるかな・・)
甲太郎は多分今の時間まで待っていてくれたんだろう。
その彼に動揺を気づかれないように、落ち着こうと大きく息を吸った。
「よしッ!」
顔をあげて、平気なふりをして・・・曲がり角を曲がった。

「甲太郎」

「ッ!」

廊下には窓辺に寄りかかってぼんやりしていた甲太郎以外の姿は見えなかった。
声をかけると、驚いたようにバッと勢いよく振り向かれる。
(きっと何か考えてたんだろうな・・)
最近それが増えたように思う。じっと暗い表情で何かを考えている。
それは多分、自分も同じ。
《生徒会》の執行委員を全員倒し、つい2日前に《生徒会》役員の一人双樹を倒して仲間になってもらったばかりで・・・、残る《生徒会》の役員は、会計の神鳳、副会長補佐とかいう2年生、生徒会長の阿門と・・。
(・・考えちゃダメだ・・)
目を一瞬だけ伏せて、気持ちを切り替えて、こっちをじっと見つめてくる親友へ笑いかけた。
「あは・・あはは、驚いた?そんなに大声出したつもりなかったんだけど」
「・・・・・」
「え、えっと・・見てみて!今日は大漁でーす!」
「・・・・・」
近づいて2歩くらい間隔をあけて止まる。笑いながら戦利品の一部を見せてみた。
「黒板消しも、チョークも、これだけあったら暫くはだいじょーぶ!」
「・・・・・」
「甲太郎・・。え、えへへ、今のツッコミ所だよ?やだなー外しちゃったじゃん!」
無反応の甲太郎の腕に触ろうとした。

バシッ!!

「え・・」
カタンガタンという物が落ちる音と、窓枠にゴツッと骨がぶつかる音と熱い痛み―――。

何をされたか一瞬判らなくて、目を見開いた。
散らばった黒板消しやチョーク。
手を振り払ったまま固まってる甲太郎。

(手を・・振り払われた・・?)

打ち付けた右手をそっと持ち上げる。
手の甲が裂けて少し血がにじんでいた。勢いよくぶつけたせいか赤く腫れているのが分かる。
「・・・あ・・」
甲太郎の声に顔をあげると、茫然としてこちらを見ている眼と視線が合う。
戸惑いと、苛立ちと・・・・罪悪感、そんなのが混ぜこぜになった表情に、必死に笑いかける。気にしないで欲しいから・・・そんな顔、して欲しくないから。
「こ、甲太郎・・」
「九龍・・」
「えっと・・その、大丈夫、だから・・」
「・・・・・」
「・・えーとえーと、ごめんッ!・・今日は、まだ、ちょっと、残ってやることがあるから・・・」
(笑えているかな・・)
ぼやけた視界が更に滲んで見えなくなっていく。
「先に、帰ってて・・」
このままここに居たら、わけが分らない言葉を叫びだしそうだったから、踵を返して走り去る。
「ッ・・九龍ッ!」
何か言いかけた甲太郎の声が聞こえたけど、今は聞きたくないと思った。


「はぁ・・はぁ・・・」
全速力で走って走って立ち止まる。ろくに考えずに闇雲に走ってきたから場所がよくわからなかった。
息を整えながら周囲を見渡す。
「時計台かな・・」
何で上に登ってきてしまったんだろう。
(毎日、屋上通ってるから・・かな?)
そのまま上の階段へ進み、屋上へと出た。

重い鉄の扉を開けた途端、ザァァと葉を揺らす風を感じる。

「風、強いなぁ・・」
下から上に吹き抜けていくような風に髪の毛が煽られる。
「寒い、な・・」
12月の強風は肌が張り裂けそうな冷たさを含んでいて、もしかしたら数日中に今年初めての雪が降るかもしれない。
(雨より、雪の方が好きだけどね・・)
ふぅとため息をついて、ゆっくり屋上の柵の方へ歩き、そこから見える校庭を見下ろした。
誰もこんな寒い日に、出歩かないか・・と呟く。
「あ・・・なんだ、前がよく見えないって思ったらゴミかな・・」
そう言った途端、じわっと視界がゆがんで見えた。
「・・・ッ」
いやになる。こんなことで泣きたくない。グッと歯を食いしばって涙が流れるのは我慢する。
だけど、泣きたいくらい・・・痛くて。とても痛いと思った。心が、痛いと。

「手、ケガしちゃったな・・・」

あの反応は、わざとじゃなくて、咄嗟の反応だったということは分かっているし、信じてる。
けれどあの瞬間、確かに甲太郎の眼に浮かんでたのは―――。

(拒絶、だよな・・。俺に触られたくなかったんだ・・)

ショックだった。
転校してからずっと、何かと一緒に居てくれた人で、勝手に親友なんだと思っていた。
だからこそ余計・・・・悲しい想いに支配される。

ずっと独りだったから。

2年前の出来事で、独りになった。
『叔父』は《呪い》のせいで眠りについて・・・考えると不安と焦燥感に駆られて。
家族ともバラバラになって。

それは全部自分の――――――。

助けてくれる人もいない。助けてほしいと、言えない。だから何も言わないで、歯を喰いしばって。
(前に進むしかないって・・・、思って・・)
右も左もわからない、初めての高校生活で、分からないことずくしで、その上初めて一人だけの任務で・・・、寮までの帰り道が不安だった時、声をかけてきてくれた人。
なんだかんだと言いながら面倒見がよくて、気がつけば毎日毎日、傍にいた。
それがすごく暖かくて、一緒に過ごしてるだけで落ち着いた。
『友達』や『仲間』の温もりが、とても力強い支えになった。大切で、大事な人。

「甲太郎・・ッ」

押し寄せる不安、拒絶された痛み、悲しみ、苦しみ、全部ごちゃまぜになって今にも爆発してしまいそうになる。

(いやだ・・)

甲太郎の正体が、自分が考えていた通りの人だとしても―――何も変わらない、そう思ってた。
(ううん・・思い込んでた。そう信じてた)
少し前からそうじゃないかと気付いていて、神鳳との話を聞いた時もショックだったけれど―――変わらないと思っていた。
でも、いつか・・・多分、近いうちに―――。

「嫌だ・・・そんなの・・できない・・ッ」

「何が、できないんだい?」

「―――ッ!?」
真後ろからした声に慌てて振り向こうとして出来なかった。
ほとんど一瞬の間に身体を抑え込まれて、壁に押し付けられる。頭も抑え込まれていて相手の姿を見ることも出来ない。
「くく・・ッ。無様な姿だね、葉佩」
「・・・誰?」
「誰とは言ってくれるね。今日も会ったじゃないか・・悲しいよ」
フッと頭の上から圧力が消える。少し緩んだ拘束にほっとしたのも束の間、強引に身体を捻られて向い合わされる。
「え・・・喪部?」
この前転校してきたばかりの転校生の顔は、笑っていた。
「正解。覚えてもらえて嬉しいよ、葉佩」
「一体、なんだよ」
「キミが泣いていたようだったからね・・、くくッ」
「な、泣いてなんか―――」
急に押さえつけられていた腕から手を放される。そっちに意識がいってる隙に眼の淵を撫でられた。ぞくっと鳥肌が立つ。そのくらい冷たい手だった。
「目元が赤くなってるよ・・」
「う、うるさいなーッ!眼にゴミが入っちゃったんだよ!」
目元に触れてきた手を掴んで言うと、喪部は愉快そうに笑った。
「なに・・?」
「ククッ・・拒絶、されたのが悲しかったのだろう?」
「え・・・」
(見られてた!?)
驚いて距離を取ろうと相手の胸を押すと今度は簡単に離れてくれた。
「皆守甲太郎、と言ったね・・、君と一緒にいるのをよく見かけるよ。友達、なのかい?」
「友達だよ!」
「くだらないな・・、それに、そう思っているのは―――」
嫌な予感がした。
聞いてはいけないような、そんな危機感。
今一番、聞きたくない言葉・・・現実という言葉。
「やめ・・・・」

「君だけのようだね・・・」

「―――ッ!」
「彼は、君が隣にいても、まるで意に介してない。本当は迷惑だと思われてるんじゃないのかい?」
(いやだ・・・いやだいやだ!)
首を振る。いやだと。どうしてもそれだけは認めたくなかった。
違う、絶対に・・・違う。
「クク・・ッ、愚かだね」
「い、痛ッ!」
グイッと右手を掴まれたと思った途端激痛がした。慌てて顔をあげると、手の甲に出来たばかりの腫れあがった裂傷に触られていた。
「こんなに腫れてる・・よほど振り払う力が強かったんだね」
「・・そんなことッ・・」
「ない?フフッ・・これが何よりの証拠だろう?」
「そんなこと・・」
ない、と断言できないくらい心が揺れてるのが自分でも判った。

―――だって、甲太郎が、俺の傍に居たのは・・・。
(ちがう!)
―――手を、振り払ったのは・・聞いてたの、知ってた・・?
(それでも・・・ッ)

「ほら、否定出来ないんだろう・・?」
「も、喪部・・?」
目が逸らせなかった。近づいてくる夕暮の空の色をした瞳に、吸い込まれそうになる。

「嫌悪されているとしか思えないね」

不思議と言われた瞬間はとても静かだった。ショックだったけど。
(けど・・)
「・・・・・バカだなぁ」
「ッ!葉佩!?」
「そんなはず・・・・ないじゃないか」
「ふん・・?笑えるとは、意外だね」
その言葉で自分が微笑みを浮かべていたことに初めて気づいた。
「うん・・。そんなわけあるはずないじゃないか」
「・・・そうかい。なるほどね・・。信じているということか。この場面で笑えるとは予想外だ」
「どうするって思ってた?」
「・・惨めに泣き叫んで縋ってくるかと思ってたよ・・そうすれば、優しく慰めてあげるつもりだったんだけどね・・クク」
「そう・・」
「まぁ良いよ。少し残念だが、収穫はあったからね・・」
「収穫?」
「――そろそろ日も暮れる。面倒な奴らが来る前に帰るとするよ・・」
「え、あぁうん・・」
来た時と同じくらいの唐突さで去って行った喪部を見送って、深々とため息をついた。
そのままズルズルと壁に靠れ座り込むと、触れたコンクリートの地面はとても冷たかった。
風に少し長めの髪が舞い上がって、視界に木の葉も風に吹かれて飛んでいくのが見えた。

(もうすぐ日が暮れそうだなぁ・・)

まだ時間は午後4時くらいなのに、随分日が暮れるのが早くなった。
夕暮れの空を見上げて、はぁとふたたびため息をつく。
「・・・そんなはずない、か・・」
呟いて目を閉じた。聞こえるのは風の音だけだった。
(嫌われてる?その方がまだマシだって思うのはおかしいのかな・・)
喪部がその事をいった瞬間思い出したのは、先日の出来事のことだった。
双樹の《香り》のせいで、白岐のことを忘れてしまった時、この場所で話したこと。

『―――空と、雲と、風と、ラベンダーの香り。それが俺の日常を取り巻く全てだ。あぁ―――』

あの時、感じたのは距離感。
どんなに近くに居ても、遠くで、一人で、こちらを見ているような・・・そんな距離感。
どんなに近づこうとしても、近づけない。
(甲太郎が許してるのは・・)
傍に居ることだけだ。
線引きされている所まで、近づけても、それ以上は近づけない。
そこにただ居ることだけ、許されてる。

(さっきの・・あれは、その線を踏み越えちゃったのかも、なぁ・・)

近づくな、触るなという拒絶を感じて、ショックを受けた。そして初めて気が付いた。
「嫌われてるなら・・・嫌われてる方が、よっぽど・・良い」
嫌悪、という感情はよく分からない。
誰かに強くそんな風に思ったこともないし、そんな風に言われたこともない。
だけど、誰かを嫌う行為は、それだけの強い感情が必要だ。
それだけ強く、たとえそれが嫌悪だとか憎しみだとしても、それだけ強く思われたら、どんなにいいことだろう?
甲太郎にあるのは、ただ、流されているだけの時間を漂うように・・まどろみの中でゆっくりと生きているだけで。
(どんなに声をかけても、届いてない)

ここにいるのに。すぐ近くに居るのに。

どうしてこんなに、遠い―――。


「いつかは、届くかな・・」
それでも信じてた。近くにいれば、いつかはと。
届かなくても声をかけて、見つければ遠くからでも呼んで駆け寄って。
「・・・届くよね」
傍にいることは許されてる。
だから、傍に居て、出来る限り呼び続けよう。
いつかは、届くと、信じて―――。




このままこうして居ても仕方がない、急がなければ日が暮れる。
今、《生徒会》の誰かと会って冷静でいられる自信がない。
(情けないけど・・さ)
階段を降り、恐る恐る覗き込んだ3年の廊下は誰一人居なかった。教室にも人気はない。
夕暮れに染まった廊下は、どこか寂しげに見える。
「さびしいな・・」
ひとり、ここに居ることが寂しくて仕方ない。
ズキンと打ち付けた手の甲が痛む。見ると赤く腫れあがっていたが、血は乾いていた。
「こんなの、いつものに比べたら大したことないのに・・」
いつも遺跡で負う怪我に比べたら、小さくて些細な怪我なのに、いつもよりずっと痛かった。

独りで校舎を歩いていると、色々な事を考える。
この学園で過ごしてきた日々のこと、今までにあった事件のこと。
夏の終わりに転校してきて、今はもう12月。
夕暮れに染まった階段を降りながら思うのは、最近考え始めるとどうしても辿りついてしまうこと。
(あと、どのくらい・・ここに居られるのかな・・)

封印された遺跡の扉はあと3つ―――。

(あと、少し・・か)
胸のどこかがグッと重くなった気がして、足どりも重くなる。考えたくない、そう思うのに。
「・・・・・・・」
首を振って、下駄箱からカタンを軽い音を立てて靴を取り出し履き替える。
履きかえながら横目で見ると、甲太郎の靴はすでになかった。
「帰っちゃったかぁ・・」
内心ほっとした。どんな顔で会えばいいか分からないし、何よりも気まずい。
ため息をついて下駄箱を見渡した。

――誰もいない。

(あと、何回ここに・・・)

「ッ!考えるなッ!」
バシッと自分で自分の両頬を叩く。
「いたたっ・・。あぁーもう・・・やになるなぁ」
気分が滅入っているせいでもあるのかもしれないけれど、一人になるとぐるぐると同じことばかり考えてしまう。
(とくに今日は・・、これのせいなんだろうけど・・)
右手の甲をちらりと見て、ため息をついた。

「ため息ばかりだな、九龍」

「え?大和?」
背後からかけられた声に慌てて振り返ると、下駄箱前の廊下から歩いてくる姿が見えた。
「まだ残ってたんだ?」
「あぁ、調べ物をしていたら夢中になってな・・。七瀬に追い出されてしまったよ」
「そっか・・。どこも静かだったから、もう誰もいないのかと思ってたよ」
「あぁ・・、冬は静かだからな余計だな」
大和はあまり足音を立てずに近づいてくると、靴を取り出した。
「こうして見ると、何ともさびしげな光景だな」
「大和・・」
「出よう。そろそろ《生徒会》による見回りが来そうだ」
「うん」
2人で並んで歩きながら、何となく黙り込む。
暫く歩いているうちに、校庭までやってきた。
いつもは運動部が部活に励んでいる時間だが、試験前のせいか閑散としている。
「今日は元気がないな?どうしたんだ?」
「ん?うーん・・・そんなに分かりやすい?」
「君は素直だからな・・、あぁ、褒めてるんだぞ?」
「え、えへへ、そうかな?照れるなぁ」
「・・・本当に素直なんだな」
「大和?」
(・・・今の何か、変な感じがしたけど気のせいかな・・?)
こちらを覗きこんでくる相手の顔を見上げる。逆光になっていてよく表情は見えなかった。
「いや、それよりも、何かあったのか?」
「そんなに顔に出てるかな・・」
自分の顔を触って見るが、どんな表情をしているかさっぱり分からない。
「出てるな」
「そっか・・、うーん・・ちょっと甲太郎とね・・」
「喧嘩でもしたのか?」
「ううん、俺が・・、多分、怒らせ・・ちゃって・・」
抑えつけたはずの感情がじわっとこみ上げてくる。
(・・・こんなんじゃ、ダメなのに・・)
俯いて情けなくなっているはずの表情を隠す、こんな顔を見せたくなかった。
「・・そうか。それは、辛いな・・」
ポンと優しい仕草で頭に手を置かれる。
思わず顔をあげると、穏やかな視線を送ってくる大和と目が合った。
「・・・あ、ありがとう・・」
慌てて視線を背けて、小さくお礼を言う。自分でもわかるくらいに顔が真っ赤だろう、きっと。
「喧嘩をするのは、仲がいい証拠だろう。あまり気にするな」
(喧嘩じゃないんだけどなぁ・・)
喧嘩にすらならなかった。ただ、拒絶されただけ。
そう笑って言おうとして失敗する。
「無理に笑わなくていい」
「うん・・」
喉の奥がツンと痛む。今何か喋ろうとしたら零れてしまいそうだ。
「君は―――」
「?」
大和が何かを言いかけ黙り込む。気になって顔をあげると、空を睨みつける姿が見えた。
「大和?」
「・・・君は、相手を責めたりはしないんだな」
「え?」
「君の状態を見ればわかる。どうせ甲太郎が一方的に怒ったか何かなんだろう?」
「え、えーと・・・・・」
「腹が立たないのか?傷つけられ苦しんだんだろう?」
「・・大和?」
いつもと様子が違う大和に戸惑って、見つめる。
(・・・イラついてる?)
「君は・・」
大和の視線の先には昇って来たばかりの月があった。
(どうしたんだろう・・?)
「理不尽だとは思わないのか?」
月からこちらへ視線を移した大和を見ながら思う。
(怒ってる・・?何に対して・・?)
もしかしたら、大和には何か思い当たる事があったのかもしれない。『一方的に』『傷つけられた』事が、あるのかもしれない。
(だから、怒ってる?それとも―――)

自分のために、怒ってくれてる・・?

思い上がりなのかもしれない。それでも、そうであったら嬉しくて幸せだなと思う。
「・・・君は、人が良いにも程があるな」
多分、顔に出ていたのだろう。大和は呆れたように笑うと、肩をすくめた。
「やれやれ・・。他人の喧嘩を煽るものではないな。俺としたことが熱くなったようだ」
「大和。・・俺、うまく言えないんだけどさ・・」
「うん?」
「親友とか特別な友達って呼べる人、初めてで・・、だからどうしていいか分からなかったんだ」
(甲太郎にとって・・俺がそうだって・・言われたことないけどさ・・)
自分にとっては、かけがえのない大切な友達で、初めての親友だと思ってる。
「そうか・・。そうだな、思ったとおりにやればいいんじゃないか?」
「思ったとおりに?」
「あれこれ考えていたらチャンスを逃してしまうものだ。自然体のままぶつかってみればいい」
「うん・・・うん!そうしてみる!」
「あぁ、頑張れ」
「ありがとう」
大和に深々と頭を下げてお礼を言うと、ポンと軽く叩かれる。
「さて、俺は近くに寄ったついでに部室へ寄って帰るとするよ」
「大和」
「うん?」
「・・・あ、あの・・・、ホントにありがとう」
大和のお陰で心の奥で鬱々と溜まってたものが晴れたような気がした。
さびしいと思っていたからかもしれないけど、会話のお陰で気分が上昇したのは事実だ。
「・・本当にストレートだな、君は・・」
「そうかな?でも、伝えたい言葉は今伝えないと、後で後悔しても・・・遅いから」
「九龍・・」
「もう、後悔したくないんだ。・・いつもしてばかりだけどね」
「・・・俺もだな」
「え?」
ふいに正面から見つめられて戸惑う。あまりにも真剣な表情だった。
「経験があるということさ・・、伝えられなかった言葉は、ここにある」
ここ、と言って大和は自分の心臓を掌で撫でた。何故かとても穏やかに見えた。
「九龍、お前にいつか話せれば・・聞いてくれるか?」
「うん!勿論ッ!」
「・・・ありがとう、九龍」
ポンと頭を軽く撫でるように叩かれる。
「それじゃまたな。仲直り、出来ると良いな」
「うん・・」
武道場へ去りながら軽くこちらへ手を振ってくれた姿に、笑いながら大きく手を振った。
大和とはだいぶ仲良くなったけれど、距離は感じていた。
近づくと、距離を置かれるような気がしていた。
(甲太郎と一緒・・なんだよなぁ・)
けれど、今のやり取りには距離も壁も感じなかった。
「・・いつか、ちゃんと向き合って話したいな・・」
そんな風に切実に思う相手が、この学園には多い。
きっと、それは・・。
(俺が、《宝探し屋》で・・・侵入者で・・いほうじん、だからだよね・・)

「あーあ!もうッッ!」

再び鬱々と考え出した思考に嫌気がさして、頭を掻き毟る。
考えれば考えるほど、前に進めなくなっていくみたいだ。足に重い鎖をつけているような感じ。
「―――よしッ!!!しばらく放置ッ!」
甲太郎のことも、大和や他の皆のことも、とりあえずは置いておいて、方向転換した。
「ゲーーットトレジャーッ!!いくぞぅッ!」
気合いを入れて走る。目指すは一番近いテニスコートへと。


「あ、日が暮れちゃった・・」
それに気が付いたのは、塩素系洗剤が必要な時か、誰かバディが居る時以外は絶対に近付かないようにしていたプールでだった。
勢いのまま校舎以外の校内を探索していたら辿り着いた場所だった。
空はわずかにまだ明るいが、星も微かに見えた。
「帰らなきゃ・・・」
(・・・夕飯、食べたかな・・?甲太郎)
探索をして少し気が紛れたのかもしれない。そんな風にふと思い、それが名案に思えた。
「うん・・ッ!いつもみたいにカレー食べに行こうって誘おうッ!」
よしッ!と一人気合いを入れたとたん、誰かに肩を叩かれた。
「え・・ッ!?」
慌てて下がりながら振り向くと、制服を着た双樹が居た。
「何してるの?葉佩」

「あ、双樹さ・・・・ッ!?」

ホッとして肩の力を抜き、また一歩下がった時だった。
ツルッと足が滑ったと思った瞬間、何かに叩きつけられたような痛みと、急激に襲いかかる倦怠感。

(水に・・・・落ち・・)

自分の状態を何とか把握して、身体を動かそうとしても動かない。

(え・・なん・・・で?)

指一本動かせないまま、意識が遠くなっていく。
ただ右腕の・・《秘文》を刻んだ場所が、異常なほど熱くなっているのだけが分かった。

(まず・・・い、この・・・ままじゃ・・)

意識が・・・遠くなった。

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