太陽が沈む朝
夕日が山に沈み、空が闇色に変わるまで後少し。彼らは走っていた。 真夏と呼ばれる季節は過ぎたが、秋が来るまでの残暑が厳しい時期である。日が沈み風に秋を感じるが、彼らは気づくはずもなく山の中を駆け抜けている。 汗が額から流れ落ちる。走りながら腕などで拭うが、走るそばから汗が滴り落ちてくる。 影は2つ・・2人はまるで競い合うかのように並んで山を駆けおりる。道という道がないために木々が生い茂る中を器用に避けながらけれどスピードは緩めない。 お互いの頭にあるものは、いかに相手より先に麓へ辿りつくか、であった。 たまに横目で並んで走る相手を観察する。麓まであとわずか。 急な斜面を飛び降りながら、背の低い影が一瞬バランスを崩す、がそれは演技で、バランスを崩したと油断させ、瞬間に拾った足下の石を少しだけ先に出た背の高い影へと投げつける。 石は古来より身近な武器として広まっている。 彼が投げたのは武器として適した形と言われる虫の蝗(イナゴ)に似たもので、投げた石は的確に標的の足にヒットした。 「痛っ」 小さく悲鳴を上げて走っていた勢いの惰性のまま斜面を転がり落ちていく。 投げつけた影は器用にバランスを立て直すとそのままスピードを上げ、その隣を駆け抜けていく。通りすがりにちらりと見えた顔はしてやったりと言う笑みで溢れていた。 「テッドー!!」 転がり落ちしたたか腰を地面にぶつけ、全身擦り傷と草や葉、泥にまみれた少年が憎々しげに声を上げた。 ぐいっと顔に付いた泥を手の甲で拭うと走り出す。その眼差しは復讐を固く誓っていた。 彼は負けず嫌いな性格であった。 普段は感情を抑え常に冷静で居ることを自分に課しているが、歳は10代前半所謂思春期と呼ばれる時期で、それを完璧に抑えることなど出来るはずもない。 地面を勢いよく蹴り、斜面を飛び越す。その落下点には先程石を投げた者の影が。全速力で勢いを付けた飛び蹴りは見事に彼のものの背中にヒットした。 「いでっ・・・.ぶっがっ!」 地面に顔面から突っ込んでいく。飛び蹴りを喰らわした本人は反動を駆使して鮮やかに着地している。 月が出てきたらしい。闇の中月明かりに照らされ、悠然と立つ彼をまるでスポットライトを当てたように浮き上がらせる。 その姿を声もなく、がばりと顔を上げた”テッド”と呼ばれた少年が睨み付ける。 「レイン!てめぇっ・・!」 怒りのまま声を上げるが、蹴りが背中にヒットしたせいで上手く呼吸が出来ず声はかすれていた。 おまけに元々体力がないテッドには先程のクリティカルヒットした攻撃はきつかったらしく、まだ立ち上がるほど回復しておらず、地面にへばりついたまま彼は憎々しげに手元の草を握りしめる。 「・・・当然の、お返しだよ」 対して彼の前に悠然と立ち見下ろしている少年はクールに答えた。 赤い服に濃緑色のバンダナを風になびかせ、本来の歳よりも大人っぽく見せていた。 「俺は石を投げただけじゃねぇか、その仕返しが10倍返しってのはやりすぎだろ?!」 「それは悪かった」 「・・・・・全然”悪い”って思ってないだろう・・」 「よくわかったね、テッド」 「お前・・その面グレミオさんやテオさんの前でやって見せろよ」 「それは遠回しに”この猫かぶり野郎”って言ってるのかな?テッド」 「おぉ、よくわかったな。この俺様のすんばらしぃ〜嫌味が」 言外に(てめーみたいなお子さまにはわからねぇと思ってたぜ)と含んで、嫌味ったらしく笑む。 「・・・僕のモットーは”刃向かう・立ちふさがる・邪魔者・は全力をもって叩きつぶす”だ。当然受けた痛みもたかだか10倍返しじゃ足りないくらいだよ」 「「一応君は僕の親友らしいから?手加減はしたつもりだけどね」」 声が重なる。 「っ!」 「お前ってガキだよなぁ」 「!」 「将来は怖そうだけどな」 「!!」 「まだまだ”お坊ちゃん”だよなぁ」 「!!!」 レインは組んでいた腕をはずすと、まだ地面にへばりついているテッドに近づいた。 見上げるとレインは顔を赤くしていた。いつもはクールぶって顔に出さないレインにしては珍しい事であるが、テッドの前では感情を抑えることはあまりないので見慣れた表情であった。 この表情は図星を指されて恥ずかしさと悔しさと怒りの表情。 その顔は年相応でかわいげすらある。 (まぁ、まだ12歳だもんな、お前) 心の中で密かに笑う。何百年と生きたテッドにしてみれば、子供のような、弟のような、孫のような、そんな感じである。たまに可愛くて頭をぐりぐりしたくなるが、それをやればこの生まれながらにプライドが高いレインを傷つけかねない。 「・・・」 悔しさのあまりに声が出ないらしい。それを笑いを耐えて見上げる。 しばらく後、ふいにレインが花のように微笑んだ。文字道理「花が咲いた」ように、にっこりと。 瞬間悪い予感がし、テッドは慌てて起きあがろうと腕に力を入れる。背中が悲鳴を上げるが、痛みなどにかまっていられない。が・・・一足遅かった。 レインはその不気味な笑顔(グレミオが見ればころりとほだされて、だまされそうな笑顔だが)を貼り付けたまま、ひょいとその腕を払う、顎から地面に激突するテッド。それを見てますます微笑むレイン。 「テッド、まだ起きあがれないだろう?大人しく寝てたら?」 「お、お前が今腕を払ったんだろうが!!」 「僕はこ・ど・もだから、たまに何をしてるかわからないんだよ。今何かしたっけ?」 「(根にもってやがる・・・そこがガキって言うんだよ!)ガキ」 「悪いけど僕はまだ子供なんだよ。じゃっ、テッド、ごゆっくり」 「ごゆっくりって・・・お前!置いていくかー!普通!」 くるりと笑顔を見せて背を向けたレインに声の限り怒鳴った。声がこだまする。 「忘れたのか?これは勝負だったよね?じゃっ先に行くよ」 背を向けたままレインは言うと走り去った。後に残るは完全に日が落ち闇に包まれた木々と地面に情けなく倒れているテッドであった。 「薄情者〜〜〜!!!!!」 レインを追うように声だけがあたりに響き渡った。 (テッドめ。テッドめ。テッドめ。テッドめ・・) 「テッドめぇぇぇ〜〜〜!!!!!」 彼は走りながらぶつぶつと文字に出来ないくらいの怒りを、彼の名前に込めていた。 いつもテッドは自分を子供扱いする。対等の目線でいると思ったら、ふとした瞬間年少者を見るような眼をして自分を見ている。 レインは学校へは通っていない。 帝国の名将軍と呼ばれるテオ・マクドールの子息であるレインは幼少の時から家庭教師にすべてを学んでいた。武術はもちろん、学問、兵学、その他もろもろを幼い時からみっちり教えられてきた。 友達はいなかった。 でも別に寂しいと感じたことがない・・・ 「・・違う、僕は”寂しい”って気持ちがわからなかっただけだ・・」 いつもそばに誰かがいてくれた。グレミオやクレオやパーンが。父さんは頻繁に家を空けていたけれど、正直言うと父さんが側にいると緊張してよく疲れた。将軍の子として生まれたからには他の子供みたいに甘えは許されていなかった。 父さんに呆れられたくないから。 見ていて欲しいから。 『坊ちゃんは飲み込みが早くて、素直で、先生方からも誉められて、本当に素晴らしくてグレミオは鼻が高いですよ』 真夜中眠れなくて水を飲みに部屋を抜け出したとき父の部屋から聞こえたグレミオの声。どうやら父が真夜中に帰ってきて夜食を持っていったときに話したらしいけど、やけに耳に残って仕方なかった。 そうじゃないよ、グレミオ。 僕は誇られれば誇られるほど虚しくて仕方ないんだ。 素直じゃない。 (だって言えない言葉が多いから) 飲み込みが早いわけじゃない。 (父さんに呆れられたくないから) 誉められたいわけじゃない。 (都合の良い、扱いやすい生徒だからって言っているのを知ってる) 僕は立ち止まって月を見上げた。 あの日、グレミオと父の会話を盗み聞きした日も同じように一人月を見上げた。 胸が灼けるように痛む。心がきしむ。涙は出ないけど、切なくて、苦しい。 苦しくてでも月から眼を離せなくて、じっとしていた時・・・彼と出会った。 『お前泣いてるのか?』 『・・・・・』 『おい、無視かよ?』 『・・・・』 『お〜〜い?』 『・・・』 『ママが恋しいのかよ?ガァキだなぁ』 『!』 『やっとこっち見たな、ガキ』 『ガキガキ言うな!!』 『歳いくつだ? 『10歳』 『やっぱりガキじゃねぇか』 『違うっ!』 『・・・・そうかもな』 『え?』 『そんな風に泣く奴は、ガキって言えないよな』 『泣いてない!』 『涙は出ていなくても”泣いている”奴は多いよ。立場ある大人やちんけなプライドが邪魔している奴とか・・・・・・・深すぎる悲しみを感じてるやつとかな・・・・』 『・・・泣いてない』 『ふん、認めないならそれでもいいさ、後で自分の顔でも見て見るんだな』 『・・・じゃぁ・・』 『あ?』 『父さんは・・・”泣いて”たのかな・・』 『そう思うなら”泣いて”たんだな』 どうして会ったばかりのテッドに話したのか、それは今でもわからない。だけど、まるで自然の流れで僕は父さんへの気持ちを呟くように話していた。 それは幼い自分を置いて逝ってしまった母を見送る日、沢山の弔問客の前でも、母の眠る部屋の中でも、母を見つめながらも、父さんは涙を流すことは無かった。ずっと穏やかな眼差しで、いつもと変わらない風にいる父さんは、”泣いて”いたんだろうか。 幼すぎてけれど、初めて『死』を理解して、泣くことしか出来なかった僕は、そんな父を恐く思った。 自分がもしも居なくなったとき、父さんは悲しむだろうか。 考えるのが恐くて、だから父さんの前ではみんなに誉められ、認められ、父さんの子供であるという事に誇りを持てるように、生きてきた・・いや、演じてきた。 父さんは”こんな僕ならば”悲しんでくれるだろう、と願って。 『お前はどう思ってるんだ?』 『・・・』 『・・・凪って言葉知ってるか?』 『知ってるよ、風が無くて穏やか、って意味だろ』 『台風の目に入ったときとか風が無くて穏やかだろ?外は嵐なのに』 『・・・父さんの事?』 『さぁな、自分で考えろよ』 『・・・・・・・・・・・』 『・・泣きたいときに』 『え?』 『泣けない奴は、可哀相だな。弱音を吐きたいときに吐けない奴も可哀相だな』 テッドはまるで自嘲するみたいにぽつりと呟いた。 『いいか、お前。今のうちだけだぞ?思い切り泣いてもいいのは。恥なんかじゃないんだぜ?大人になれば、泣きたくても泣けなくなる。泣くことを恥るように、なってしまう。・・本当はそうじゃないのにな。』 『僕は・・』 『お前名前は?』 『・・・な、名前を聞くときは自分から先に言うべきだろう』 僕は正直戸惑った目の前の人物が”泣けない大人”に見えて。同じ年頃なのに。 『お前って・・ホント、”お坊ちゃん”だな〜』 『なっ!!』 『まぁいいけどさ。俺テッドって言うんだ』 『・・・』 『だんまりかよ?で?お坊ちゃまのお名前は?』 『・・・・』 『お前さ、学校とかじゃ優等生の学級委員ってとこだろ?』 『僕は学校には行ってない』 『ふぅ〜ん、じゃあ、ダチになろうぜ?ダチ!!』 『ダチ?』 『友達!で?名前は?』 『レイン・・』 『レインか!まっ俺に負けるけど良い名前じゃないか、よろしくなダチ!』 『ふ、ふん、なってやっても良いよ』 『可愛いくねぇなぁ?』 『うるさい!!!』 初めて友達が出来た。 (何、回想にふけってんだろ) 月を見上げていたら、いつのまにか回想にふけっていた。気が付けば辺りはすっかり闇の中。 (テッドと出会った日の月に似てたからだ) もう2年経つんだな、と思うと共に、自分はあれからどのくらい成長しただろうか、とも思う。 ずっとテッドと一緒だった。気が付いたら家に居候していた。 勉強も訓練も、気が付けば隣で一緒にしていた。あまりにも自然に、側にいた。 テッドといると、楽しかったり悔しかったり、自分は色々な感情を出すことが出来た。 そう、以前のように自分を偽って押さえつけることもなくなった。”泣く”事はなくなった。 今はちゃんと泣ける。涙を流して声を出して。 『君と出逢えて、良かった』 そう言いたくて、でも言えない。一生言わないだろう・・・悔しいから。 (だけどバレバレなんだろうなぁ) 悔しい理由、それはある一点をのぞいて負けているからである。 あんなにやさぐれた体(てい)なのに、訓練所謂武術以外に置いて、レインはテッドに負けていた。 知識は家庭教師が驚くほど豊富で、すべての点に置いてレインよりも先にいた。そして旅などで役立つ豆知識や雑学も豊富で詳しすぎた。 自分ですら同じ歳の学校へ通う子供よりも知識は豊富で頭も良いと、自覚していただけに、内心かなり悔しかった。 何故そんなに物知りなのか、と問うた時もあるが、テッドは自分の過去を話したがらなかった。 だからあえて聞かなかった。 時たまに気まぐれのように話してくれる、それだけで満足だった。 だけど。 (だけど、あいつにガキ扱いされるのは嫌いだ) 同じ目線で居たと思ってるのに、対等な友達だと認めているのに。 子供扱いをされると距離を感じる。何とも言えない悔しさで息苦しくもある。 だけどそれを言うともっと子供扱いされそうで、いつも目をそらしてやりすごす。 「テッドのばっか野郎・・・・」 「なんだってぇ!!」 「えっ?」 返事がするわけがない独り言に返事が返ってきてレインは声の方へ振り返った。 「おぉ〜いてぇ。ったく誰かさんのお陰で体中・・特にせ・な・かがっ、痛くて痛くて大変だったぜ」 「・・・・い、意外と早い復活だったね」 「っーか、お前がこんなところでぼっと突っ立ってるからだろうが」 回想にどっぷりと浸かっていたため自覚はないが、テッドを見捨ててから1時間はたっている。 「もしかして待っていたのか?可愛いな〜」 「な!!そんなわけないだろう!!」 「照れんなって」 「違うっ!!」 (ムカツク。また子供扱いしやがる) レインは手に持った棍を静かに構えた。 以前なら”泣いていた”気がする感情を、彼は毅然と受け止めることで乗り越えたらしい。 つまり、相手にそれが伝わらなくて”悲しい”時は、何でもいい表現してみよう。そして彼は武力という自分らしい表現を選び、それを実行した。 「わっ!待て!早まるなっ!!俺が何かしたか〜!!!!」 レインはしっかりと成長していたらしい。 「坊ちゃん!テッドさん!!!」 彼らがぼろぼろになって帰り着いたとき、もうとっくに夕飯の時間は終わっていた。 あの後レインは気が済むまでやり、テッドはぼろぼろになり、そのテッドが復活するまで2人して月を眺めていた。 帰り着いたのは真夜中で、当然心配しすぎて胃薬とお友達になっていたグレミオとそれを呆れながら、しかし心配をしていたクレオにさんざん絞られた。 「まったく今まで何をしてたんですか・・」 グレミオはテッドとレインの前に遅い夕食を並べながらまだ、グチグチとごねていた。 この心配性な付き人にいつもよりも心配をかけてしまった罪悪感で、レインもテッドも何も言えず大人しく「ごめん」「ごめんなさい」と何度目かの謝罪を口にする。 「で?本当に何をしてたんですか?」 その借りてきた猫のように大人しく素直な2人と過保護なグレミオを見守りつつ、椅子に座って紅茶を飲んでいたクレオが静かに、けれど強制のこもった強い口調で聞いた。 「・・・お前が言えよ」 「・・お前が言うべきだろう」 「俺は付き合っただけだ」 「テッドが提案したんじゃないか!」 「何をぉ〜!!」 「嘘つきっ!」 2人がぼそぼそと言い合いをする。クレオもグレミオも見慣れた風景にため息を付く。 「やるか!」 「やらいでか!」 「「上等だ、表へ出ろ!!」」 とうとう立ち上がって声を揃えて言い放つ。 「坊ちゃん!!」 「テッドくん!!」 「「いい加減にしなさい!!!」」 同じく立ち上がってクレオとグレミオも声を揃えて言い放つ。 「「!!ご、ごめんなさい」」 謝る声まで出そろう。 「坊ちゃん」 「わ、わかったよ、グレミオ」 大人しく椅子に座り直し、観念したらしいレインが遅くなった理由を話し出す。 「・・・10ポッチを」 「賭けて」 「どちらが早くつくかを」 「勝負したんですか」 事情を聞いてクレオとグレミオが殊更強調しながら、おうむ返しに言う。 2人は暖め直したグレミオ特製シチューを味わいながら、生きた心地がしなかった。 こっそりと目の前に座る2人を盗み見るが、目を合わせることは出来なかった。 「坊ちゃん」 「テッド君」 胃に悪そうな食事を終え、広間を出ようとしたとき、後ろから声が掛かる。 「「はい」」 とりあえず、神妙な声を出し振り向くと。そこには悪魔な笑い方をしたグレミオとクレオが微笑んでいた。 「「明日は早朝5時から訓練ですよ」」 「5時っ!?」 今は12時半。今から風呂に入って寝ても、4時間ぐらいしか眠れない。 「はい。そうですよ、それではゆっくりお休みを」 「お休みなさい。坊ちゃん、テッド君」 クレオとグレミオの顔はそれはそれは恐かった。2人は背中に冷や汗をかきながら、心の中でお互いを口汚く罵った。 翌朝、彼らはさっそく喧嘩して、グレミオとクレオからまたも絞られた事を付け加えておこう。 <FIN> |